■活動のきっかけ
TECHJAPANの皆さんが「北部に暮らす人々のために何かしたい」そのように思っていた矢先の2004年12月26日、津波が起こったという。 すぐさま現地に赴いて目の当たりにした現実は、悲惨なものであった。
「何も無かった」そう彼女たちは表現する。
津波によって家族や家や職を失った現地の人々に出会い、そして強く感じたという。津波が起こったときのみの「一時的な」支援では、真の支援とは言えない。「長期的な」視野に立っての支援が、現地の人々を救うのだ、と。これを機に、現地で活動しているTECHと連携し、TECHJAPANの支援の道が始まった。
■TECHJAPANの活動
現地に似合った支援を―。それが彼女たちの願いだった。そして、そのために現地の「女性」と「子ども」 について調査を始めた。
戦争や津波で、夫を失った女性は、経済的な自立が難しい。また親を失った子どもや、両親が共働きに出ている家庭では、小さな子の面倒は10歳前後の兄姉が見ることが多い。そのため、学校に行けない子どもがいるという。こうした現実があることを知り、女性には家でもできる技術が学べる裁縫センターを、子どもには保育園を、また北部の文化に即した図書館を立ち上げた。
現在、裁縫センターを卒業した女性の9割が、それに関連した仕事に就き、月に4000円から5000円程度の現金収入を得ているという。
また、当初36人の園児でスタートした保育園も、入園希望者は後を絶たず、現在は76人の園児を迎え入れている。
■日本の女性たちとの交流へ
現地のニーズに答え、活動を展開するうちに、多くの賛同者が現れた。 しかしそれまでは、日本での事務所を持たずに活動してきたため、資料を保管する場所や、会議に使用できる場所、また団体としての住所も無かった。
そして次第に活動の幅が広がるに連れて、様々な弊害が起こってきた。 そのような矢先に、「ぐらん」と出会い助成を受けた。助成金は主に、事務所を立ち上げる資金に当てられた。 「一般的なNGO団体なら、当たり前のことなのかもしれませんが、私たちにとってはとても大きなことだったのです」 彼女たちはそう語ってくれた。
これからは、裁縫センターの拡充と、そこで作られた製品をフェアトレードで売る体制を整えること。そして現地の女性と日本の女性が、国境を越えて 「戦争と女性」 というテーマで交流していきたいと、TECHJAPANでは考えている。
「建物や機械は、いずれ古くなって壊れてしまうけれど、心の交流や文化の交流は、人々の心に残って一生消えない」、この言葉から皆さんの信念が伝わってくるかのようだった。また、2007年度は、内部の課題として、経理の専門家を雇い、運営力を充実させていきたい。そう力強く語っていた。 |